施設の人は、一体僕をどこの誰と思っているのか?

どーも、冨安です。

最近認知症の方が暮らすグループホームでバイトしています。

そこで利用者は不思議な感覚で生きられており、接しながら不思議に感じることが多々あります。

必ず同じ下りの会話が行われる。

例えばある方とは毎日必ず同じ下りの会話が行われます。

「おたくはどちらから来られているの?」

「英田から来ています」

「あら英田、そんなところから。そうですかー。」

「そうなんですよー。」

「それは大変ですね。」

「そうなんですよ。」

あはははは。

みたいな特に中身がない会話が会うたびに交わされます。

どうやら何回あっても向こう側は会うたびに、

初めまして

の感覚のようです。

利用者のなかに果たして僕のことを覚えている人がいるのか?

謎でございます。

僕のことをどこの誰と思ってるんだろう?

上記の会話のように何度あっても僕の顔をお忘れになられるようですが、しかしなぜか日々の暮らしをサポートされている。

毎回が初対面な人と何気ない日常的な会話をしている。

一体認知症の方は、僕のことを何者だと思っているんだろうか?

不思議でなりません。

利用者の会話の中で

「ところでここはいったいどこなんじゃろうか?」

「さあーどこなんでしょう。」

「分からんなー」

あははは。

みたいな会話もあり、

今がいつでここがどこなのか?

目の前にいる人が誰なのか?

分からないご様子。

それでもご機嫌なときはご機嫌ですし、笑顔に嘘はないように思えます。

なぜどこの誰といるかよく分からないのに笑うんだろうか?

なぜ人の好き嫌いが生まれるんだろう?

どんな世界で生きておられるのか不思議でなりません。

一体認知症の方は、僕のことを何者だと思っているんだろうか?

というところは何でもいいんでしょうね。

たまたま同じ時間と空間を一緒にいる。

ただそれだけの話で、まあ別に難しいことはいいじゃないかとニッコリ笑う利用者は伝えてくれてるようです。

ホント、愛すべき方々ですよね。

介護施設の収益構造はどうなっているか?

どーも、冨安です。

最近これまで全く縁のなかったグループホームで働いているので、現場にいると介護の世界がどんななのか?

色々と興味津々です。

今回は介護施設の収益構造について。

今あるグループホームに人材派遣会社経由で働いています。介護に人材派遣が使われてるのも驚きで、人材のやりくりが大変そうな部分が職場の会話からも垣間見えます。

地方にいると介護施設ってよく見かけるけど、関わりなくてよく知りませんでした。地方だと介護施設で働いてる人も多く一大産業です。

グループホームはどう成り立っている?

サービスを受ける利用者はみな高齢者、認知症の人が暮らすグループホーム。

人件費はかなりかかってそうだし、施設設備から日常用品までお金のかかりそうなことが多い。

でも稼ぎのない利用者からそんな利用料金もとれるはずがない。

施設自体が何かを生産しているわけでもない。

出て行くお金しかなくないか!?

と思い介護の収益構造など調べて行くと、介護報酬というシステムがあることを知りました。

国保医療制度に近い介護保険制度があり、利用者負担は1割、保険で9割みたいなバランスが一般的のようです。

例えば要介護レベルの高い人を受け入れると、施設はその分高い介護報酬を受けるような仕組み。

国保みたいに点数がありこれで売り上げが決まるそうです。

要はほとんど介護保険という税金で成り立っている業界なんだと認識しています。

その税金から僕が働いたお金も出ているんだなと。

持続可能なんだろうか。

介護保険を中心に回っている介護サービスはどうなっていくんだろうか?

働きながらよく考えています。

これから介護が必要な人はどんどん増えていく。

でも税金をおさめる人は減っていき介護にかかるお金は増える一方。

介護保険がこのままの状態で続くとは思えず、もし破綻したらどうなるのがいいんだろうか。

そう考えると介護施設のない社会がよく、最後まで住み慣れた家で住み続けられるよう地域でヘルスケアをしていくことが大事なのだと思います。

これが最もお金のかからない、社会に優しい介護ですかね。

そういえば今もこれまで住んでた地域でも、色んな福祉的な取り組みがなされていました。適度に繋がりがあり心身健康で入れる環境づくり

介護が必要な人を支えるための地域の収入

医療保険も介護保険も恩恵がいつまで受けれるか不明なので、地域医療や介護のあり方がどんどん変化するのかもしれませんね。

認知症 ただの声かけが奥深い

どーも、冨安です。

最近介護施設でバイトしておりまして、認知症という自分とは全く異なる世界観を持った人たちと接しています。

認知症の方がどんな感じで物事を見ているのかなどは見ていて面白いです。

1つ1つの声かけが奥深い

僕たちは日常では言語を中心にコミュニケーションしていて、言葉かけなどテキトーに無意識に日常の大部分の会話をしています。

しかし認知症の方はコミュニケーションのやり方が当然ながら全く異なります。

例えば誰かに話しかける時、

「だれだれさん」

と声をかけますが、認知症の方はここをすごく丁寧にやる必要があります。

半分寝ているような感じのボーッとしている時が多いので、

「だれだれさん!」

と声をかけると、あちらの世界に行かれていたのがパッと一瞬意識が戻りこちらの世界に帰ってこられます。

認知症の方は多くの時間が、僕らの寝起きみたいな状態におられるのかもしれません。

耳が遠い方も多いのでちゃんと声かけしないと反応してくれません。

なかなか立たない人も立たせるめっちゃ声かけ上手い人

今いるグループホームではできることは利用者さんにやってもらう方向で日常を過ごしています。

車椅子の方のトイレのとき、車椅子から便座に移動するのに一度立ってもらうのですがこの立ってもらう動作をしてもらうのが難しい方がいます。

普段あまり立つ動作をしていないからか、筋力が衰えているからか。

立つまでに誰もが苦戦する方がいます。

一人声かけがとても上手な方がいて、この方がやるとスッと立つ瞬間がありこの瞬間は何度見ても不思議です。

多くの方は手を出してしまうので、声かけだけで体を動かせすのはすごい技術だと思います。

僕はまだ声かけのみで立たせたことはなく、立つ人の声かけと立ってくれない人の声かけとの違いは何なのだろうかと考えます。

その認知症の方は見ていると気持ちは立ち上がっているけど、体が気持ちについていってないような感じです。

でも立てないわけでなく、立つときはスッと立ち上がります。

意識と体が繋がるような瞬間があるんですかね。

普段僕らは立つときに何かを意識することはありませんが、体の衰えとともに立ち方も分からなくなるものだと思います。

若い人でも一度に多くのことは意識できませんが、認知症の方はその傾向がより強いイメージです。

だからただ「立って!」

といってもどうすればいいかわからなそうなので、

①手すりをグッとしっかり持って手と足に力を入れて

②お尻をあげて

1つ1つ順を追って意識してもらえばいいのだろうか?

と書きながら立ち方を考えていて思いました。

また今度実験してみます。

iPhoneはバックアップをとる必要があるのか?

どーも、冨安です。

iPhone7plusを昨年から使っているのですが、落としすぎて画面もカメラも割れてしまいました。

plusシリーズの難点はそのサイズ的に、ポケットから落ちやすい点なんだと思いました。

使い勝手が悪くなってきたので修理に行ったところ、画面割れやカメラ割れは機体交換になるそう。

AppleCareに入ってたので1万2000円で交換してもらいました。

バックアップは必要なのか?

僕は普段からデータのバックアップをせずに使用していて、特にバックアップせずに交換してもらいました。

iPhoneにあった写真や連絡先は全て消えましたが、そこまでバックアップとる必要性をかんじませんでした。

何かのクラウドサービスにおおよそのデータはおるから、バックアップの必要性を感じなかったのかもしれません。

無駄にたくさんある使わないアプリや何年も会ってない人の連絡先などなくなり、スマホがスッキリしました。

色々と設定はめんどくさいですが。

パソコンも同時に壊れて使えなくなったので、今までしてこなかったスマホ活用をしていきたいと思います。

買い物からブログ更新までスマホにしてみます。

今の十代とかはスマホで育ってきてるし若い世代の感覚が多少分かるかもですね。

この記事もスマホから更新してますが、慣れればやってやれないことはなさそうです。

MacBook pro ご臨終。PCのない生活実験スタート

どーも、冨安です。

ここ5年くらい使用していたMacBook pro が故障して使えなくなってしまいました。

20代後半は彼無くして行きていけなかったので本当に素晴らしい役目を果たしてくれました。これまでありがとう!

にしてもiPhoneも交換したりと色々と壊れる今日この頃です。

macは充電部分が壊れたようで、充電できなくなりました。充電してるとランプがつくはずですが、点灯せず。

充電中減りはしないのですが、それでも少しずつパッテリーが0%に近づきとうとうゼロに。

今日アップルの岡山店舗に行き見てもらいましたが修理に7万はかかりそうで、修理に出すか微妙なとこです。

修理か、新品か、生活を変えるか。

選択肢としては修理に出すか、新しいのを買うか、何もしないか。

いやー手痛いなと思ったのですが、そういえばパソコンって本当に必要なものなんだろうか?

てことを考えるいい機会だなと今日思いました。

僕は10年くらいテレビのない生活をしていて、必需品と思い込んでたものが実はそうでもないことは多々あるはずです。

パソコンもなければ生活できない気がしますが、なければないでなるようになるでしょう。

というかスマホで何がどこまで出来るのか?

実験するいい機会だなと。

パソコン必須な仕事してるわけでもないので、最悪ブログが更新できれば後は何でもいいです。今の僕は。

この記事も人生で初めてスマホから更新しています。

パソコンなしでスマホで生活。

手持ちのiPhone7plusだけで、果たして何とかやっていけるのでしょうか?

パソコンのない生活実験がスタートしました。

知らずに食べた。ブルーベリーみたいな、有毒のヨウシュヤマゴボウに気を付けよう。

どーも、冨安です。

先ほど草刈りをしているときにブルーベリーと勘違いして、有毒のヨウシュヤマブドウという植物を食べてしまいました。

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無心で草刈りを進めていたら、

ハッ!!!

ブルーベリーの実が見えるではありませんか。

なぜこんなところにブルーベリー!?

これはブルーベリーなのか?

まあ食べてみてから考えるか。

と思って食べてみたところブルーベリーっぽい感じでした。

草刈りをして汗を流してたからか、本当は不味いのかもしれませんが特に不味いと感じませんでした。

おお、ブルーベリーじゃん!

と思って食べていたら「それちゃうで」と連絡が。

有毒のヨウシュヤマゴボウ

まあ毒はないだろうと思ってたんですが有毒のヨウシュヤマゴボウというらしいです。ややこしい名前ですね。

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こうしてみるとピンクの茎が怪しいですね。

Wikipediaではこのように記されています。

ヨウシュヤマゴボウは有毒植物で、全体にわたってがあり、果実も有毒である。毒性は、根>葉>果実の順であるが、果実中の種子は毒性が高い。ブルーベリーと間違って果実を誤食する事故もあり、注意が必要である[3]

毒成分は、アルカロイドであるフィトラッカトキシン(phytolaccatoxin)、サポニンであるフィトラッカサポニン(phytolaccasaponins)、アグリコンであるフィトラッキゲニン(phytolaccigenin)などである。また、根には硝酸カリウムが多く含まれる。

誤食すると、2時間ほど経過後に強い嘔吐や下痢が起こり、摂取量が多い場合はさらに中枢神経麻痺から痙攣や意識障害が生じ、最悪の場合には呼吸障害や心臓麻痺を引き起こして死に至る。幼児の場合は、種子を破砕した果汁を誤飲すると、果実数粒分でも重篤な症状を引き起こしうるために十分な警戒を要する。

ヨウシュヤマゴボウ – Wikipediaより

実を5、6個食べてしまいました。

食べてから3時間くらい経ちましたが今のところは何もありません。

時間が経過してから症状が出てくるのか?

5、6個くらいは大丈夫なのか?

よく分かりません。

調べてみると最悪の場合は死にいたる場合もあるそうなので、これからは食べないようにします。

無知とはこわいものですね。

認知症 「知ーらない!」というセリフからの学び

どーも、冨安です。

認知症になる人、ならない人の違いは何か?

認知症 話す言葉でなく声に反応する人

最近介護施設でバイトしており、日々認知症の方といるなかで気づいたことをレポートしています。

働いてる施設のなかに何度も何度も同じ事を聞いてくる方がいらっしゃいます。

田んぼをやっていたようで

「苗づくりはちゃんとできてるだろうか?」

「田植えは大丈夫だろうか?」

「農協に入金がなんちゃらかんちゃら」

「息子はちゃんとやっとるのかのう?」

などとにかく田んぼが気になるようで頻繁に聞いてこられます。

耳が不自由な方で、かなり耳を近づけて話す必要があります。

個人的にはこの人は今いったいどんなことを考えていてどんな世界を見ているんだろう?

興味深いのでゆっくり話したいと思っています。

一般的にはイライラして対応される。

施設では恒例のことなので職員の対応もパターン化しています。

だいたい何かみんなやってるときに話しかけてくるので、大抵の時はそこまで相手にしていません。

「同じ事を何回もいわせないで!」

「いま仕事中!」

みたいな若干イライラしたような感じで対応するパターンが1つ。

もう1つは

「田んぼは息子さんがちゃんとやってくれとるから大丈夫じゃ。」

と安心する言葉を投げかけるパターンがもう1つです。

イライラした感じになるのも分かりますが、直近の記憶を忘れていく方の立場に立ち考えると

「同じ事を何回もいわせないで!」

とこっちの価値観から物事を言っても何も意味がないように思います。

話しかけてくる頻度が高いのでどんな風に対応すればいいのか難しいですよね。

何を言ってるかより、どう言っているかが大事なんだと思った。

この田んぼのことを聞いてくる方に対して、初めてのパターンを見かけました。

40歳くらいの女性の職員さんですが

「田んぼはどないなっとるだろうか?」

この恒例の下りに対して

耳元で大きな声で

「知〜らない♪」

と笑顔で言って爽やかに去って行かれたのでした。めっちゃ爽やかでしたね。

いやー時間をかけずに一発。相手側を不快にさせることもない素晴らしい対応だと思いました。

これがイライラした

「知ーらない」

だったらお互いにマイナスの感情が残るだけ。

最後に♪がつくような笑顔で爽やかな

「知〜らない♪」

はありで、言い方1つで全然違うんだなあと感心しました。

なぜか話しかけた方も笑ってたし。

場の空気全体も悪くなりません。

認知症の世界においては

何をいうか?

以上に

どんなふうにいうか?

これが大事なのかもしれないと思いました。

認知症になる人、ならない人の違いは何か?

どーも、冨安です。

認知症 話す言葉でなく声に反応する人

人生初の介護業務。認知症と非言語コミュニケーションについて

初めての介護シリーズ。働きながら色々と考えているのですが今日は

認知症になる人とならない人の違いは何なんだろうか?

ということを考えていました。

今暮らしてる上山では80歳を超えても元気に畑で作業をして頭もしっかりされてる方がたくさんいます。

一方で働くグループホームには、60代でも体に不自由なところがあり認知症という方もいらっしゃいます。

一体この違いはどこから出てくるんだろうなと働きながら考えていました。

老化する自分を素直に受け入れられない?

こちらの本を参考に考えてみます。

認知症が発症する要因について下記のように書いています。

・「認知症」が「脳の病変を原因とする病気」であれば、進行するにはある程度の年月がかかるはずです。まして、一夜にして「認知症」になることなど、ありえません。しかし、現実には、一夜にして「認知症」になることが珍しくないのです。  その原因は、入院です。入院すると、発病による急性期の激しい変化に反応するのが精いっぱいという時期が一段落したとき、老人は環境の激変に直面します。

・ところが、入院すると、住み慣れた自宅の天井や壁のかわりに、見慣れない病院の白い天井と壁に囲まれます。そこで老人は、自分を確認するために、住み慣れた空間をさがし求めようとゴソゴソ動き回りゴソゴソ動くと、看護職によって手足を 縛られます。すると、老人はあっという間に世界への信頼感を失い、目がトロンとなってしまうのです。

・「認知症」は、老いていく自分を認めることができなくなったことから起きる、と考えるのが一番だろうと私は思います。老いていく自分を認められない老人が、障害による機能低下、人間関係の変化などをきっかけとして起こす「自分との関係障害」

・老人とは、老化にともなうさまざまな変化に適応しながら生活している人たちです。そして、認知症老人とは、老化という人生の困難な課題に直面してそれに適応できず、人間的な反応をしてしまった人たちです。  この適応が困難な人に環境の変化が重なると、事態はけっしてよい方向へ向かいません。惚けが重くなり、問題行動が激しく出ることはまちがいないでしょう。

認知症になる1つの要因が

老化という人生の困難な課題に直面してそれに適応できず、人間的な反応をしてしまった人たち

と本書では述べられています。

心理学で「認知不協和」という言葉があり、これが1つのヒントになりそうです。

認知的不協和 – Wikipedia

 認知的不協和(にんちてきふきょうわ、cognitive dissonance)とは、人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。

不協和の存在は、その不協和を低減させるか除去するために、なんらかの圧力を起こす。つまり、複数(通常は二つ)の要素の間に不協和が存在する場合、一方の要素を変化させることによって不協和な状態を低減または除去することができる。不協和を低減させる圧力の強弱は、不協和の大きさの関数である。つまり、認知的不協和の度合いが大きければ、不協和を低減させる圧力はその度合いに応じて大きくなる。

認知的不協和 – Wikipediaより

老化による身体機能の低下や環境の変化により、自身では受け入れない何かが出てくる。

こんなはずないと思いながら理想と現実は離れていく。

そこで自身を素直に認めず、周囲とも軋轢が出てくる。

こうしたことが少しずつ重なり自身を見る目も社会を見る目も歪み、心も脳もおかしくなっていくのかもしれません。

そして心の歪みは私生活食生活の乱れにつながり身体機能の低下に繋がる。

心身のバランスの乱れ

心身のバランスがとれなくなることも要因として大きいと思います。

上山いるおじいおばあは外にでてよく畑作業をされています。なぜそこまでやるんですかと言いたくなるほどに。それでも昔のように体が動かないと言われる方も多いです。

認知症でグループホームにいる方

上山で畑仕事をしてる方

両者を比較して、太陽の下で体を動かすことってめっちゃ大事なんじゃないかなーって思うんですよね。

病気やケガがあると身体的に不自由になると外に出ることが難しくなります。

そこでずーっと家に引きこもっていれば身体機能は低下するし、家にしかいないとふさぎ込んできます。

逆もしかりで環境の変化などにより精神的に参ることがあり身体を動かさなくなり、脳機能や身体機能が低下していくこともあるかもしれません。

心身のバランスよく日常を過ごすことが大事なんだろうと思います。

上記書籍の記載をもう1回。

「認知症」が「脳の病変を原因とする病気」であれば、進行するにはある程度の年月がかかるはずです。まして、一夜にして「認知症」になることなど、ありえません。しかし、現実には、一夜にして「認知症」になることが珍しくないのです。  その原因は、入院です。入院すると、発病による急性期の激しい変化に反応するのが精いっぱいという時期が一段落したとき、老人は環境の激変に直面します。

・ところが、入院すると、住み慣れた自宅の天井や壁のかわりに、見慣れない病院の白い天井と壁に囲まれます。そこで老人は、自分を確認するために、住み慣れた空間をさがし求めようとゴソゴソ動き回りゴソゴソ動くと、看護職によって手足を 縛られます。すると、老人はあっという間に世界への信頼感を失い、目がトロンとなってしまうのです。

これは今介護施設にいると確かに・・・と感じます。

利用者は基本的に施設の中から出ることはなく、外界との交わりはほとんどなさそうです。

外に出ることなくずっと同じ場所にいれば、

いま一体自分がどこにいるのか?

いまは一体いつなのか?

季節感も何もなくなっていき認知症は加速していくんだろうと思います。

1つの施設でしか働いてないのでよく分かりませんがこんなもんなんですかね。安全面とかから外に出すのは難しいのかもですが。

若い人にも当てはまる話。

認知症になる要因としてざっくりと

①老化による自己矛盾から生まれる自分とのギャップ

②心身のバランスの乱れ

ということを挙げました。

これは認知症に限らず若い人にも当てはまるんじゃないでしょうか。

社会のなかで現実と理想のギャップに苦しみ自分を誤魔化し続けていくことが、うつ病など精神疾患の原因だと思います。

不健康な暮らしをおくって身体がダメになっていき、精神疾患を患う方もいるかもしれません。

認知症と鬱病はそんなに変わらないんじゃないでしょうか。

またご高齢かどうかに限らず、若くてもずっと入院生活やグループホームでの生活が続いたら、

いま一体自分がどこにいるのか?

いまは一体いつなのか?

僕だったら分からなくなります。

「あれ、そういえば自分がこんなとこで何やってんだっけ?でも逃げられもしないしいっか。」

みたいな所で落ち着き、身体機能も脳機能も緩やかに低下しそうです。3年経ったら社会復帰は無理でしょうね。寝たきりになってる自信があります。

太陽の下でよく身体を動かし、よく食べ、よく眠ることが大事なんでしょうね。

いくつになっても。

認知症 話す言葉でなく声に反応する人

どーも、冨安です。

人生初の介護業務。認知症と非言語コミュニケーションについて

最近認知症の方が暮らすグループホームでバイトをしています。

認知症の方とまじまじと接するのは初めてで日々発見があります。

利用者さんたちは直前に起きたことはすぐ忘れますが、潜在意識にすり込まれてるような過去のことはよく覚えられています。

また自分と他人の境目もあいまいで、目の前で何が起こっているか判断認識することが難しくなっているように思えます。

普段僕らは頭のなかで様々なことを考えて意識して、それらが表面的な言動や態度にでます。

認知症の方はこれが逆になのかなと。これまでの蓄積された経験が無意識に行動に出ているイメージ。

なんというか、色んな行動が無意識なんかなーと感じています。

何をいわれてるか?でなく特定の人の声に反応する人

色んなグループホームがあると思いますが、今僕がいるとこは気がつくとボーッとしている人がほとんどです。

要介護レベルが高い人ほど声をかけても反応はにぶくなります。

ですが面白いことに、なにかスイッチが入ると体を動かし始めたり反応が出てきます。

例えば歌。

これまでよく聞いてきた知っている歌が流れると、それまでボーッとしてた人も歌い出すみたいな。

ホント脳のどこに何が反応してるんだろうかと不思議です。

その人の潜在意識に刻み込まれたことに反応しているんでしょうから、その人が反応する何かを継続的にやることは脳も活性化するんじゃないでしょうか。

また特定の人の声に反応しているようにみえる人もいます。

声をかけないとすぐ目を閉じる方。僕の声とかいまいち反応してくれないのですが、ある方が声をかけるとパチッと目を開けられます。

はいはいと言わんばかりにうなずかれるのですが、どちらかというと悪い反応に見えまして先生と怒られてる生徒みたいな関係性が垣間見えます笑

「はいちゃんとしますからそんな言わんといて下さい」

という心の声が聞こえてきそうな感じです。

一緒にいる時間も長く、認知症の方のなかにも刻み込まれてる「声」があるんでしょうね。

声や音楽に反応する。

という話ですが、音も声も目に見えない振動であり周波数です。

もしかしたらある特定の周波数を発することで、認知症の人は反応するのではないだろうか?

認知症の方が心地よいと感じる周波数の流れる暮らしをつくることが、認知症の改善に繋がるのではないだろうか?

ということは音楽をヘルスケアに繋げるようなことができたらいいんだろうか?

この辺とか興味深い。

また世の中には人体などあらゆる物質は量子からできていて、量子はエネルギーであり波動を出している。人体は波動の集合体という考え方もありますので、音と波動の持つ力に大変興味を持ち始めました。

この辺りの本はぜひ読んでみたい。

きっと音楽療法も波動医学も同じような繋がりを持っていて内容重なる部分があるんだろうと思います。

興味のあることが広がる一方な今日この頃です。

人生初の介護業務。認知症と非言語コミュニケーションについて

どーも、冨安です。

最近出費がかさんだり金欠につきバイトを始めました。

適当に5つくらい応募して最初に決まったのが、人生で初めての介護の派遣でした。

WEBの求人を眺めているのも面白く、眺めてた中では手もみや本舗とか面白そうなので機会があれば応募したいと思っています。

介護の人材派遣があるんだなあー。

介護というのは派遣でいきなりいってやれるものなのか?

色々と未知だったのですが介護業界は人材不足なのか、派遣も使わないといけない状況なんですね。

高齢化が加速している現在、介護業界の雲行きはあやしいんだなと派遣で働いていて思います。

僕にとっては全くの未知だった介護の世界。

現場でやってみると業界のことが頭の入るようになるし、介護という視点から社会を見れるようにもなるので好奇心も掻き立てられて面白いです。

新鮮で発見や気づくことも色々とあります。

いるのは認知症の方が暮らすグループホーム

今僕が働いているのは認知症の方が9人暮らすグループホームです。食事介助、トイレ介助、風呂介助などの一般的な介護業務をしています。

要介護レベル1~5までの方々がいます。

僕はこれまで過疎地に住んでいたので高齢者との関わりは多少ありましたが、認知症の人とひたすら接することは初めてです。

まず認知症とは一体どのような症状なのでしょうか?

から引用。

認知症とは、一言で言えば、高次脳機能の障害が行動に現れたものです。高次脳機能とは、単細胞生物から始まる長い進化の過程の最終段階、人にしかない高度な脳機能をさします。言語、認知・判断、創造・意欲、感情などがそれで、大脳の表面を数ミリの厚さで被っている新皮質が司っています

認知症とはあくまでも症状であって、認知症という病気があるわけではありません。認知症を引き起こす病気は数多くありますが、中でも最も多いのがアルツハイマー病です。

アルツハイマー型認知症では、周囲の人がまず気づくのが、意欲障害と記憶障害です。意欲障害とは、気分の変調、うつ傾向、無関心・意欲低下などをさし、症状としては、ぼんやりしている、根気がないなどに加えて、疲労感、不眠、不安、めまい、肩こりなどが現れます。記憶障害は、記銘力の障害と場所の見当識の障害、近時記憶(最近の出来事の記憶)の障害で、しまい忘れが多い、確認行動が多い、電話番号が覚えられない、などの症状が現れます

認知症の人はよく、同じことを何度も繰り返し言います。これは、記銘力が低下しているために、自分が言ったことを覚えていないことが、主な理由

さらに、分割的注意が低下して、同時にあちこちに注意を向けられなくなることも関係しています。ほかの人の様子に注意が向かないため、会話の流れとは関係なく自分の言いたいことだけを言ったり、やりたいことだけをしたりしてしまうのです。

「認知症「不可解な行動」には理由がある」より

一言で片付けることができない複雑な症状が認知症なんですね。

脳機能や身体能力の低下、環境の変化などが重なって、問題といわれる行動に繋がるようです。

お盆くらいから働き始めたばかりですが、例えばその中では

・今起きたことを覚えていない

・ 何回も同じ話をする

・何回会っても名前は覚えてくれない

などのことは皆さん共通しています。

しかし僕も忘れ物は多々あったり今やろうとしたことを忘れたりするので、あまり人のことを偉そうに言うことができません笑

若くても同じ事を何回も話す人はたくさんいるし、認知症は考えれば考えるほど分からなくなりそうです。

言葉を介さない非言語コミュニケーション

話が通じているのか?

意思疎通がとれているのか?

よく分からないことが多い認知症の方々。

顕在意識と潜在意識。

人の9割は潜在意識といわれていて、僕らのコミュニケーションは1割の顕在意識で行われている思います。

でも認知症の方は、これまでの人生で蓄積された潜在意識でのみ行動しているようにみえます。

そこで大事なのは表面上の言葉のやり取りだけではなく、場の雰囲気や表情、語気の強さなど表面的な言葉以外の部分なんだろうと感じています。

これはいまグループホームにいて面白いところです。

認知症の方は何が起きたか?

これはすぐ忘れるんですが、そのときに起こった感情はしっかり残っているようにみえます。

要介護レベルが高く話もできないし自分でなにもできない状態の方がいて、基本的には話しかけても反応はないのですが、1日に1回くらい笑顔を見せることがあります。

これはめっちゃビックリすると同時に嬉しい瞬間です。

今、一体何がトリガーになってこの人は笑ったんだろうか?

ほとんど身動きしないこの人に、今いったい何が起きたんだろうか?

とても分析しがいがあります。

他にも例えば耳が遠くてコミュニケーションが難しい方がいますが、言葉を介さなくても意思疎通がとれてるなーと感じることがあります。

通常の言葉でのコミュニケーションが難しい認知症のグループホーム。

だから言葉のやり取り以外の、非言語コミュニケーション(ノンバーバルコミュニケーションともいわれる)が大切なのかと思います。

例えば目の見えない人、耳が聞こえない人たちは一体どんな風に周囲とコミュニケーションを取っているのだろうか?それはどんな感覚なんだろうか?

なんてことも考えるようになりました。