僕のことを認識してた?認知症の方の辞め際の涙にビックリした。

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どーも、冨安です。

今日で半年ほどバイトしてた介護施設を辞めました。

初めての介護業界でしたが、特に働いてみてよかったことは料理のスキルが上がったことです。

また認知症はよく知らなかったのですが、認知症の人の観察は面白くて案外飽きませんでした。

端からみてると不審な行動をなぜしてしまうのか?

認知症の人がどんなふうに世界を見ているのか?

何をどこまで分かっていて、何を分かっていないのか?

介護で大事なのは、想像を働かせて相手の視点に立つことでした。

テキトーに切羽詰まって始めたバイトでしたが、相手の視点に立ってコミュニケーションをとるトレーニングになりました。

僕が辞める挨拶をしたとき涙を流した人が2人もいて。

それで今日僕がめちゃくちゃビックリしたこと。

今日で最後になりますーみたいな挨拶をしたときに、泣いてた施設の利用者が2人いたんです。

ホントすごいビックリしました。

なぜなら一人は日々接していても、何をどこまで記憶していて何を分かってないか?

よく分からないんですよね。

仲はよかったんですが、いかんせん向こうがどう僕を認知してるのか分からない。

なので「え、俺のことそんなちゃんと認識してくれてたの?」

と思ったんです。

場の空気感で感極まったのかよく分かりません。

その利用者は普段から、今がいつでどこにいるか分かっていません。

僕をいったいどこの誰だと思っているのか?分かっていません。

何が何だかわからないけど日々接しているという、僕からしたら想像つかない世界におられます。

よくわからないのですが、記憶のどこかでしっかりと刻まれてたんだなと思いました。

結構友達感覚でしたね、その方とは。

そしてもう一人はなぜか僕のことを「トシちゃん」と呼ぶおばあちゃん。

なぜ「トシちゃん」になったのか全くもって謎です。

彼女のなかでは僕は「トシちゃん」らしいので、特に何も否定せずに「トシちゃん」だったんですが。

「トシちゃん、お仕事が落ち着いたらお散歩に連れて行ってね。」

と、よく散歩に連れて行ってくれとお願いされていて、よく散歩してたのでその記憶は刻まれていたようでした。

お二人ともそんな僕のことを認識してると思ってなかったので、感極まられていたことがすごくビックリしました。

そして、とてもうれしくもありました。

コミュニケーションは表向きの言葉だけではないなと感じました。

マイノリティーの人が持つパワーはすごい。

認知症の人は世間一般的にいえば、ボケて自分のこともできなくなり社会のお荷物、

というか社会がお荷物にしてしまっていると思います。

認知症の人は僕とは全く異なる世界をみており、その価値観や世界はとても興味深くて面白い。

インドに行ったら訳のわからない人がたくさんいて狭い世界で悩むことがバカバカしくなるように、全く異なる価値観で生きてる認知症の人と接すると気が楽になることがあります。

認知症の人と接することで、救われる人が多くいると思います。

認知症のように世間一般のこうあるべきだ、

からは外れているマイノリティーは、ときに多くのことを教えてくれます。

認知症、障害者、外国人、ジェンダー、ニート、シングルマザー、起業家とか。

自分とは異なる価値観やバックグラウンドを持って生きてる人と接することは、生き方の選択肢を増やすことでもあると思います。

1つの選択肢しか見えてないとしんどくなりますが、

「こっちもありなんだな。」

とその人自身が教えてくれます。

例えば外国人も認知症の人もなかなか交わる機会がありませんが、もっと日常的に混じり合った世の中になったら日本はいい国になるんじゃないかと思います。

そして、無職になりましたw

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