どーも、冨安です。
11月から上山に来たバングラデシュの友人に先日こんな質問を受けました。
「なんで日本人は中高で英語を6年やってるのに、話せる人が少ないの??」
と。
僕がたまにバングラ友達と買い物に行ったりすると、確かに英語が通じる人はめったにいない気がします。
話せる人を見つける方が難しいのが日本だと思います。
僕の英語レベルもしれてますが、3年前に北海道でAirbnbやってから幸いにも英語を使う機会が増えて日常会話くらいは話せるようになってきました。
それまでは高校卒業してからまともに使う機会もなく、ほとんど話せなかったです。忘れますよね。
中学、高校と6年間も英語を勉強するのに、この経験をいかすことなく全然話せるようにならないとかもったいなすぎます。
ちなみにバングラデシュでは14年って言ってたかな?英語教育の期間があるらしく、だいたいの人が英語をしゃべれるらしいです。実際にみんな僕のレベルとか比較にならないレベルで話せます。
なんで日本人は6年間も英語を学ぶ期間があるのに大して話せるようにならないんでしょうか?
理由はいくつか思い浮かびます。
読み書き、文法重視の学習スタイル
1つ目は中高における英語の学習スタイルです。
読み書き、文法はよくやりました。学校のテストも入試も読み書き、文法が重視されてた気がします。
一方で英語で会話をする機会はほとんど記憶にありません。
会話専門の外国人の先生がいたようないないような…なレベルです。
なんで日本の英語教育はあまり会話が重視されないんですかね?
難解な文章を読むことよりも、中学レベルの英文をしゃべれるスキルの方が社会ではよっぽど役に立つのに。
英語をしゃべる必要がない。
2つ目は英語を必要に迫られる機会がないことです。
日本は幸いにも人口多いし、国内需要だけで雇用が成り立つ社会。
英語を学んで海外に出なければならないことはないし、国内でも英語を話す必要に迫られる機会は少ないです。
短期的にみれば日本語だけでも十分生きていけるように思えます。
5年後、10年後は知りませんが。
英語をしゃべる必要に迫られないと、やはりなかなか覚える時間もモチベーションもないものだと思います。
僕は北海道でAirbnbやり始めたり、最近上山にバングラデシュ人来たりで英語を話す必要に迫られる機会があったのでラッキーでした。
英語ができることの意味
日本では英語は話せなくても生きていけますが、やはり英語を話せることは大きな価値があると思います。
もしもっと多くの日本人が英語を話せたら、日本はもっと開けた国になり色んな考え方や文化を知る機会になり国の発展に繋がるかもしれません。
外国人とコミュニケーションを取ることは、日本の中の日本でなく世界から見た日本という視点を与えてくれます。
日本を客観的に見ることが可能になり、日本のいいことも悪いことも感じる機会に繋がります。
日本だめなら海外行けばいっか!とか思えますし、生き方の選択肢も広がります。
英語を話せること読めることは世界をとても広げてくれます。
言語を学ぶこと、話すことはシンプルに楽しい。
英語でも何でもいいのですが、言語を学ぶことはシンプルに楽しいです。
新しい言語を覚えて使ってみて、伝えたいことが伝わったら楽しいですよね。
翻訳機の性能が上がってきたら言語を学ぶ意味は薄れるかもしれないですが、言語を話せることの価値ってすごいと思います。
例えば知らない外国人がいたとして、全く日本語がしゃべれない人、すごく流暢にしゃべれる人がいたらしゃべれる人に親近感を感じるじゃないですか。
言語が話せると簡単に国境を超えれることがあり、より良い他国の理解や良い友人を持つことに繋がるのだと思います。
学校で教えてくれなかったのは、英語を話すことの楽しさだったのかもしれません。
テストで良い点を取るための退屈な英語学習はすごくもったいなくて、もっと楽しさを感じながら学んでいればなあー。
と、中学高校の自分を振り返って思います。
いま、英語を話すのめっちゃ楽しいですからね。
どうやったら日本で、英語をはじめとした言語を楽しく覚えれる機会を増やすことができるんでしょうね。