「自分はダメな奴」上っ面な自分に気づき、消えたくなりひたすら放棄地で草刈りしてた。

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どーも、冨安です。

1ヶ月ぶりくらいですかね。

外に向いてた興味が全て自分に向いておりまして、他のことを考えれなくなってました。

人って生きていると、

社会のあーしなければいけない、こうあるべきだ

色んな常識や価値観に縛られる。

気づいたら他の誰でもない他人と比較をして、その価値観のなかで誰でもない誰かになろうとしていたりする。

社会の常識なのか、他人なのか?

自分以外の何かに振り回され続けて生きていく。

自分は自分でいいにもかかわらず。

「なんか逃げ続けてない?」と言われて。

ある友人と話していて、ふとしたきっかけで全ての興味が自分に向きました。

それまでの会話の流れもありますが

「なんか逃げ続けてない?」

と言われて、過去と今が繋がったような感覚があり

あーホントそうだな。

と。

自分でも分かっているのですが、無意識のなかで逃げてるわけじゃないと思い込もうとしてました。

僕は自分で自分が納得するまで何かをやったことがないんです。

無心で放棄地で草刈りをした。

何かやることは1つでいい。

耕作放棄地はたくさんあるので、ひたすら草刈りすることにしました。

なんで草刈りか?特に理由もなく直感です。

なんなんだ自分なんなんだ自分なんなんだ自分

みたいな感じで他のことを一切考えたくなくなった、頭に入らなくなった。スマホの電源を切りPCも開かず数日ひたすら草刈りしてました。

連絡がとれないため死亡説も流れました笑

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「自分はダメ奴」と思い続け、無意識で自分に作ってた壁。

草刈りは体力を使う作業で、やっていると無心になり無意識のなかで色々と思考が巡り出します。

どっから逃げ癖ついたんだろうな?

あのときか?あのときか?あのときか?

不思議なことに、自分の色んな過去のことを思い出しました。自分の人格がどうやって出来ていったのか。過去が今に繋がって、自分を客観的に見ることができた感覚がありました。

逃げ癖ってなにか?

自分で自分が納得するまで何かをやり切ることができないこと

だと思います。

理由は自分で自分を信じれないから。自分で自分を認めることができないから。

常に無意識のうちに、自分を制限してしまう。何となくできそうなことに逃げてしまう。

たぶん僕は幼少の頃から体も小さくアトピーだったのもあり、

常に劣等感を持ちながら生きるようになり、必要以上に周囲を気にするようになったんだと思います。

瞬発的な頭の回転が悪いので、何をやるにも出遅れるような部分もあります。

小学生のときから逃げ癖あり、劣等感を感じることが多かった。

この頃から自分を殺して、周囲に合わせる癖もついている気がします。中学に入り劣等感はさらに大きくなり「自分はダメな奴だ」と、自分で自分を嫌いになることが多かった。成績はビリの方だし部活辞めるしいじめられるし。

気がつけば他人の目を気にして、自分の本当の意志みたいなのはなくなる。やりたいことではなく、何となくできそうなことに逃げ続ける。

とりあえず嫌われないために振る舞う。気がつけば自分を殺して生きるようになった。

こういう見たくない過去は、これまで全て無意識のうちに見ないようにしていました。

自分を変えようとし続けたけど、何をやっても変われるわけはなかったんです。こうして自分で自分をごまかしている限りは。全部表面的で上っ面。

やってることと言ってることが繋がっていなかったとも思います。

草刈りをしながら、こんな感じで自分と向き合ってました。

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僕はこれまで他の人と心底深く繋がった感覚を持ったことがありませんでした。

たぶん「自分はダメな奴だ。」と思って自分で自分に壁を作ってる時点で、誰にも心を開くことはできない。

自分で自分をごまかしているうちは、どんな繋がりも表面的なものにしかなからない。

繋がりのない寂しさを紛らわすためにやってたのが、ブログだったのかもしれません。

なんか、しばらく喜怒哀楽の感情も捨ててたなと思います。

どんなに心を開いてくれてる人にも心を開くことができず、今まで表面的で上っ面だったんだなーと思ってたら悲しくなったりしました。

こういう嫌な自分と向き合っていたので、なかなか人に会う気も起きませんでした。

自然の循環のなかで、ただただいる感覚。

こういうタイミングで耕作放棄地でひたすら草刈りできる環境があって良かったです。

都会で家に籠もってPCでカタカタやってても、なかなか負のループから抜けれなかった気がします。

とりあえずぐったりするまで、ひたすら草刈りする。

疲れて寝る。

草刈りする。

寝る。

SNSもチャット系も遮断して(迷惑かけてすいません・・・)、こんな感じで2週間くらい過ごしたかな・・・。

自然のなかで体を動かしてると、だんだん考え方がシンプルになってきます。

何か自分に向き合うとき手段は色々とあります。

座禅、ヨガ、瞑想、マラソンなどなど・・・。

それが僕にとっては耕作放棄地での草刈りでした。

ひたすら無心で草刈りをしてて、エンジンが止まったで静寂になった瞬間が好きなんですよねー。

川が流れる音、木々が風に揺れる音、風、鳥の鳴き声、かつての棚田跡。

自然の循環のなかでただただ生きてるんだなー。

いいも悪いも全て自分で誰と比較する必要もなく、まあ自分は自分でいっか。

ていうのが腑に落ちました。

上山だから気づけた。

こういう気づきは一人では得れるものでなく、他の人との関係性のなかで気づけるものだと思います。

これには気づける場所、気づけない場所

があるように思います。

僕がやったことはいきなりSNS辞めますとか情緒不安定になり、連絡とれなくなるみたいなただの頭がおかしいやつ。

ただ否定される場所であれば、ただただ否定されて終わる。バカにされて終わる。

結果として何にも気づけず、自分をごまかし生き続ける。

例えば変化したくて変化できずに苦しんでる組織。どんどん人が病んでいく組織。

組織全体で最も向き合わないといけない部分から逃げ、働く人も自分をごまかしながら働き続ける。

こういう場所では辞めない限り、自分だったらひたすら病むだろうなと思います。

これでいいと思えるようになったのは、まず上山で一緒に活動しているメンバーのおかげです。上山だったからこういう気づきを得れたんだと思います。

無意識のうちにこれまですごい殻を作っていた自分。

良きも悪きも自分を認めながら、気がつけばそこにあるようなものを大事にしていきたいなと思います。

読んでいただきありがとうございました。

引き続き山にこもって耕作放棄地を開拓しています。

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