世の中便利になる必要があるのか?

どーも、冨安です。

最近世の中が便利になること=人が幸せになれる

わけではないなと思っておりまして、

なんで今の社会は

今よりももっと便利に

今よりももっと経済成長を

そんなことを追い求めることが普通なんだろうなと考えてます。

iPhoneもインターネットもなきゃないでいい。

例えば僕たちの暮らしを便利にしたiPhoneやインターネット。

iPhoneがあればどこでも仕事できるし、インターネットの発達やSNSの恩恵で誰かと繋がってることも簡単になりました。

確かに暮らしは便利になりました。

ただ一方で、別になきゃないでいいじゃないですか。

世の中がインターネットで繋がれば繋がるほど、もしかしたらリアルの繋がりは希薄になったかもしれません。

SNSで他人のキラキラした部分ばかりが目につくから、他人と比較する機会が増えてしまい自分を見失ってる人も多いかもしれません。

iPhoneがあれば便利だけど、別にない時代はない時代でどうにでもなっていました。

iPhoneが登場して暮らしは便利になったとしても、だからといって幸せになるわけではない。

人工知能、仮想通貨、ドローンなどなど。

様々なテクノロジーが進化することで世の中は便利になっているのかもしれませんが、人の暮らしが豊かになっているようには思えません。

便利になる→仕事を奪われる人が出る。

AppleはiPhoneをヒットさせましたが、常にイノベーションを起こし続けなければ生き残れません。

世の中を効率化しなければならない、経済成長しなければならない、常に勝ち続けなければならない。

終わりないですよね。

便利な世の中になればなるほど、心の豊かさみたいなものは消えていっているように思います。

なんでないものを追い求め続けるのか?

日本とかもう十分便利だし、生活的には豊かじゃないですか。

僕は最近「もっとこうしなきゃいけない」「誰かみたいになりたい」

とか思ってたのがあまりなくなりました。

ないものは求めだしたらキリがないし、誰かになろうとして比較しだしてもキリがないし自分は自分です。

目の前に、もう既にモノも人の繋がりも恵まれすぎているほどにあるじゃんと思って。

ないものを求め続けて、もっと便利に、もっと快適に。

とか本当に必要なことなんですかね?

もう十分あるじゃないですか。

たぶん、生きることはもっとシンプル。

難しいことを頭でごちゃごちゃ考え出すとキリがないのですが、最近生きることはもっとシンプルなんだろうなと考えるようになりました。

最近しばらく自然のなかで体を動かして草刈りし続けていました。

自然の中で体を動かしてると、考え方がシンプルになってくるんだと思います。

生命力ある草木。太陽。川。

自然と人は別じゃなくて同じ。

どんな生命にも人にも役割あるんだろうなーとか考えながら、草刈りしてます。

能力が低いやつはダメだ。

能力が高いやつが認められる。

仕事ができない人間は切り捨てられる。

こういう世の中は嫌いです。何しろ僕もだいぶ不完全な人間なので笑

効率化や経済成長。こういうモノサシで図るとダメな人でも、違うとこでいいところはたくさんあるはずじゃないですか。

僕は棚田で田んぼを1年やっただけなんですが、棚田再生の価値ってこういう所なんだろうなと。

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棚田は生産性も低いし非効率的なわけで、資本主義的にいったら価値はありません。

でもすごい小さな一枚の田んぼにも、一枚一枚の田んぼに個性があり何かの生命が循環しています。

小さくても色んな役割を果たしているじゃないですか。

便利さや効率化を追い求める世の中なので、棚田にある一枚一枚の田んぼが伝えてくれるメッセージは色々とあると思っています。

今年は世間ではじかれモノになりそうな田んぼも再生していきたいなーと思っている次第です。

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最近地元のじーちゃんと友達になれるようになってきた。

どーも、冨安です。

ここ1ヶ月くらい草刈りばかりしていたら、色々と気づきや見方の変わることがあります。

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特に僕が住んでいる部落の草刈りをかなりしていました。

一人でひたすら土地と向き合い草刈りしてると、自然とその土地に愛着がわいてくるし何とか守っていきたいなと思うようになります。

変化の1つとして、この地域に住むじーちゃんたちと前より仲良くなれるようになれました。

上山の人たちは田んぼをやっている、やっていた方が多く、土地への思い入れなどは強いです。70、80になるのに、ものすごい執念で毎日何か作業をしているじーちゃんもいます。

なぜそこまでやるのか?

不思議でならなかったのですが、感覚が近くなってきたのかもしれません。

ひたすら草刈りしていると向こうも以前より

「おー今日もやっとるなー。」

みたいに以前より楽しそうに話しかけてくれるし、僕も話していてめっちゃ楽しく感じるようになってきました。

たぶん理由は同じ事をしているから。

ひたすら土地と向き合う、守っていく。

僕は上山に来て1年目のぺーぺーですが、少なからず目線が近づいてきたのかもしれません。

特に草刈りしている辺りがどんな場所で、どんな風に使われてたのか?

どんな歴史を持っているのか?

ずっとそこにいたら気になってくるので、聞きたいことも増えてくるんですよね。

こうして土地を守り続けてきたじーちゃんたちと、一緒の価値を共有できるのは貴重だなあと思います。

資本主義的な経済性とか効率だけでいったら棚田ってなくなるものなんですが、条件不利でもそこで知恵を出して暮らし続ける。

そこから自然に生まれる暮らしや文化には、人の魂や尊さみたいなものがあっていいですよね。

同世代の友達は減る一方ですが、上山のじーちゃんと少しずつ友達になれるようになってきました!

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「自分はダメな奴」上っ面な自分に気づき、消えたくなりひたすら放棄地で草刈りしてた。

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どーも、冨安です。

1ヶ月ぶりくらいですかね。

外に向いてた興味が全て自分に向いておりまして、他のことを考えれなくなってました。

人って生きていると、

社会のあーしなければいけない、こうあるべきだ

色んな常識や価値観に縛られる。

気づいたら他の誰でもない他人と比較をして、その価値観のなかで誰でもない誰かになろうとしていたりする。

社会の常識なのか、他人なのか?

自分以外の何かに振り回され続けて生きていく。

自分は自分でいいにもかかわらず。

「なんか逃げ続けてない?」と言われて。

ある友人と話していて、ふとしたきっかけで全ての興味が自分に向きました。

それまでの会話の流れもありますが

「なんか逃げ続けてない?」

と言われて、過去と今が繋がったような感覚があり

あーホントそうだな。

と。

自分でも分かっているのですが、無意識のなかで逃げてるわけじゃないと思い込もうとしてました。

僕は自分で自分が納得するまで何かをやったことがないんです。

無心で放棄地で草刈りをした。

何かやることは1つでいい。

耕作放棄地はたくさんあるので、ひたすら草刈りすることにしました。

なんで草刈りか?特に理由もなく直感です。

なんなんだ自分なんなんだ自分なんなんだ自分

みたいな感じで他のことを一切考えたくなくなった、頭に入らなくなった。スマホの電源を切りPCも開かず数日ひたすら草刈りしてました。

連絡がとれないため死亡説も流れました笑

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「自分はダメ奴」と思い続け、無意識で自分に作ってた壁。

草刈りは体力を使う作業で、やっていると無心になり無意識のなかで色々と思考が巡り出します。

どっから逃げ癖ついたんだろうな?

あのときか?あのときか?あのときか?

不思議なことに、自分の色んな過去のことを思い出しました。自分の人格がどうやって出来ていったのか。過去が今に繋がって、自分を客観的に見ることができた感覚がありました。

逃げ癖ってなにか?

自分で自分が納得するまで何かをやり切ることができないこと

だと思います。

理由は自分で自分を信じれないから。自分で自分を認めることができないから。

常に無意識のうちに、自分を制限してしまう。何となくできそうなことに逃げてしまう。

たぶん僕は幼少の頃から体も小さくアトピーだったのもあり、

常に劣等感を持ちながら生きるようになり、必要以上に周囲を気にするようになったんだと思います。

瞬発的な頭の回転が悪いので、何をやるにも出遅れるような部分もあります。

小学生のときから逃げ癖あり、劣等感を感じることが多かった。

この頃から自分を殺して、周囲に合わせる癖もついている気がします。中学に入り劣等感はさらに大きくなり「自分はダメな奴だ」と、自分で自分を嫌いになることが多かった。成績はビリの方だし部活辞めるしいじめられるし。

気がつけば他人の目を気にして、自分の本当の意志みたいなのはなくなる。やりたいことではなく、何となくできそうなことに逃げ続ける。

とりあえず嫌われないために振る舞う。気がつけば自分を殺して生きるようになった。

こういう見たくない過去は、これまで全て無意識のうちに見ないようにしていました。

自分を変えようとし続けたけど、何をやっても変われるわけはなかったんです。こうして自分で自分をごまかしている限りは。全部表面的で上っ面。

やってることと言ってることが繋がっていなかったとも思います。

草刈りをしながら、こんな感じで自分と向き合ってました。

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僕はこれまで他の人と心底深く繋がった感覚を持ったことがありませんでした。

たぶん「自分はダメな奴だ。」と思って自分で自分に壁を作ってる時点で、誰にも心を開くことはできない。

自分で自分をごまかしているうちは、どんな繋がりも表面的なものにしかなからない。

繋がりのない寂しさを紛らわすためにやってたのが、ブログだったのかもしれません。

なんか、しばらく喜怒哀楽の感情も捨ててたなと思います。

どんなに心を開いてくれてる人にも心を開くことができず、今まで表面的で上っ面だったんだなーと思ってたら悲しくなったりしました。

こういう嫌な自分と向き合っていたので、なかなか人に会う気も起きませんでした。

自然の循環のなかで、ただただいる感覚。

こういうタイミングで耕作放棄地でひたすら草刈りできる環境があって良かったです。

都会で家に籠もってPCでカタカタやってても、なかなか負のループから抜けれなかった気がします。

とりあえずぐったりするまで、ひたすら草刈りする。

疲れて寝る。

草刈りする。

寝る。

SNSもチャット系も遮断して(迷惑かけてすいません・・・)、こんな感じで2週間くらい過ごしたかな・・・。

自然のなかで体を動かしてると、だんだん考え方がシンプルになってきます。

何か自分に向き合うとき手段は色々とあります。

座禅、ヨガ、瞑想、マラソンなどなど・・・。

それが僕にとっては耕作放棄地での草刈りでした。

ひたすら無心で草刈りをしてて、エンジンが止まったで静寂になった瞬間が好きなんですよねー。

川が流れる音、木々が風に揺れる音、風、鳥の鳴き声、かつての棚田跡。

自然の循環のなかでただただ生きてるんだなー。

いいも悪いも全て自分で誰と比較する必要もなく、まあ自分は自分でいっか。

ていうのが腑に落ちました。

上山だから気づけた。

こういう気づきは一人では得れるものでなく、他の人との関係性のなかで気づけるものだと思います。

これには気づける場所、気づけない場所

があるように思います。

僕がやったことはいきなりSNS辞めますとか情緒不安定になり、連絡とれなくなるみたいなただの頭がおかしいやつ。

ただ否定される場所であれば、ただただ否定されて終わる。バカにされて終わる。

結果として何にも気づけず、自分をごまかし生き続ける。

例えば変化したくて変化できずに苦しんでる組織。どんどん人が病んでいく組織。

組織全体で最も向き合わないといけない部分から逃げ、働く人も自分をごまかしながら働き続ける。

こういう場所では辞めない限り、自分だったらひたすら病むだろうなと思います。

これでいいと思えるようになったのは、まず上山で一緒に活動しているメンバーのおかげです。上山だったからこういう気づきを得れたんだと思います。

無意識のうちにこれまですごい殻を作っていた自分。

良きも悪きも自分を認めながら、気がつけばそこにあるようなものを大事にしていきたいなと思います。

読んでいただきありがとうございました。

引き続き山にこもって耕作放棄地を開拓しています。

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