なぜ就活自殺は起こるか?どうすればなくなるか。

どーも、冨安です。

先日就活に関するこんな記事を読みました。

就活自殺 | KAZUMA IEIRI

就職失敗で自殺する大学生が1000人を超えたらしい。悲し過ぎる。80社に申し込んでダメだったら人格全否定されてる気にもなるだろ。雇用情勢がどうとかじゃなく、就活しない生き方をみんなに知って欲しい…死ぬほどのことじゃない。

就活という同調圧力の中で、追い詰められて、絶望し、死を選ぶ。もはや自殺では無く他殺。悲し過ぎる。就活に悩む子に、それでも頑張れ、なんて僕は言えない。就職なんてしなくても死にはしないよ。休学でもニートでも何でもいい、逃げて自ら余白を作らないと、追い詰められて人は簡単に死んでしまう。

何度も言うけど、追い詰められたら人は簡単に死ぬよ。その死は自殺では無く、もはや他殺。立ち向かうなんてもっての他、追い詰める側が引かない限りは、とにかく逃げて自分で余白を作るしかない。そして、逃げた先でまたその後のことは考えたらいい。就活以外でも同じです。

実際就活で自殺を選んでいる人がいるとしたら悲しい。

若くて20代前半とか可能性しかないはずなのに。僕も就活上手くいってなくて気持ちは分かるような気がする。僕は結果として就活からは逃げて別の選択肢とって生きてるのですが、他人事に思えない。

就活に限らず追い詰められて死ぬことを選んだ人の気持ちを僕は分からない。

他にもっと選択肢があり逃げることを選んで欲しかったと思うけど、追い詰められてるときには周囲が見えなくなってると思います。

「自分はダメなやつ」

「みんなが就職だから、自分もそうしなければならない。」

と思い込むことや周囲と比較して自分には価値がないと思い込むこと。

この思考がどん底までいくとやばくて、抜け出せる人と抜け出せない人の違いは家入さんも書いてますが。

一旦客観的に自分を見るような余白を強引にでも作れるか?

それを許す周囲の環境があるか?

なんてとこによるのかなと思います。

選択肢は色々あるはずなのに、なぜ1つの生き方しかできないと思うか。

就活でも過労死でも追い詰められて自殺を選ぶことは、社会が人を殺していることとイコールと思います。

どんな人であれ生きていいはずですから、社会が人を殺すような日本の文化は消えてなくなって欲しいです。

生き方の選択肢は1つではないのに選択肢がないと思い込んでしまう背景は、みんな同じであることを求め続ける教育の問題があると思います。

これも家入さん書いてますが

同調圧力であり、空気を読む、和を尊重する。他人に迷惑をかけてはならない。

といった日本ならではの文化が背景にあるのかと思います。

先日インドに行ったときにインドの教育の考え方について聞きました。

お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」

迷惑の定義によるのですし、インド人により考え方も違うと思うのですが。

僕がいたインドニューデリーのメインバザールにいたインド人たちは、空気を読むも和を尊重するもくそもない感じでして笑

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個々がそれぞれ本能のまま日々を生きてるような、日本にはないインド人のギラギラ感はなんだろうかとずっと思ってました。

インドはカースト制度があり職業の選択の自由もない人はなさそうでした。それでも町を歩いてる人は皆ギラついている。

インドにいたのは2週間くらいだけど、インドのストレスと日本のストレスは全く違うタイプな気がしました。

インドでは感情がストレートになる気がして、イライラしても明日には忘れるような感じ。日本の自殺や過労死みたいなことはインドではないんじゃないだろうか。

日本のストレスは厄介で、じわじわと心を締め付けられて全てを押し殺したくなるような陰惨なストレスなイメージ。

カースト制度で職業の選択がない人がいるようなインド。一方で人生色んな選択肢をとれるはずなのに自殺を選んでしまうような社会の日本。

暮らしの便利さや快適さで日本はインドのはるか上をいってるけど、だからといってそれが人の幸せとはイコールでない。

日本は豊かな国で五体満足で生きれるだけで本当に恵まれているはずなのに、なんで希望を持てず死ぬことを選んでしまう若い人がいるのか。

押しつけられた価値観のなかで生きるのでなく、みんなが好きなように生きてる世の中の方が僕は生きやすいのでそんな世の中になるように頑張りたい。

色んな生き方があることを子どもの頃から知ること。

じゃー就活でもなんでも社会が人を殺さないためには?

子どもの頃から色んな生き方や暮らしがあることを学び知れるような教育が、大事なのかなと思います。

例えば会社に勤める、田舎で暮らす、海外の文化に触れる。

色んな世界があることを知っていることは、きっと人生の助けになるんじゃないでしょうか。

僕もこのあいだインドに行ってみて、日本がダメだったらインドにいこう。みたいな考え方できるようになりましたし(笑)

子どもでも大人に対しても、常に色んな生き方や働き方に触れる環境や社会であることが就活とかで自殺する人を減らすことに繋がるのかなと思います。

今の生き方に絶望してたら上山きてください。

就活に絶望して若い人が死ぬとか悲しすぎます。

そういう人が一人でも減ればと思うのでやれることやっていきます。

会社に就職でなくても、存在する色んな生き方の1つが

「農のある暮らし」

で上山で田んぼをやったり実際にやっていることです。

農業とはまた違うのですが、生活のなかに農がある暮らしはすごく豊かです。

自然と繋がりながら日々を過ごせるような暮らし。

最近これめっちゃいいなと思っていまして。

自然のなかで体を動かすのって気持ちいいんですよね。

草刈りでも耕すでも燃やすでも何でも。

都会で家にひここもってPCの前に居続けたら気持ちはマイナスに傾き続ける気がするので、自然の中で体を動かすことは結構大事でいいことだと感じてます。

だいたい余計なことを忘れますから(笑)

ホント就活したくないとか死んでしまいたいとか思ってる人は、上山きてくださいな。

僕電話番号これ→080-3569-4907 メールこれ→aolarena16@gmail.com

なんで連絡ください。

一緒に耕作放棄地でひたすら草刈りしたり開墾したり、何か野菜つくったり田んぼしましょうよ。

僕が伝えられることは特にないですが、自然が色んなことを伝えてくれます。

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こういう受け入れを出来るようになりたいのと、届ける人に発信を届くようにやっていこーと思います。

そして共感していただける方は一緒になにかやりましょう。

インドでは人と野良犬が上手いこと共存していた。

どーも、冨安です。

インド滞在シリーズです。

日本にはなくインドでは日常的な光景の1つに、そこら辺に野良犬がたくさんいることがあげられます。

インドでは野良牛や野良犬、野生のサルもみかけました。

なかでも犬と牛は割とそこら辺を歩いていて、これは日本ではみない風景です。インドでは牛は神聖な動物で食べることはありません。宗教の関係で牛と豚はあまり食べれるところなかったです。

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人と犬が上手いこと共存していた。

デリーのメインバザールというとこにいましたが、野良犬が危険と感じることはあまりありませんでした。

深夜は気性の荒そうな犬がケンカしたりしてましたが。

基本的にデリーの犬は、夏バテで疲れてるのかやつれてやる気がない感じの犬が多いです。

日陰で寝ている犬がほとんどですね。

面白いのが野良犬が人間社会に馴染みすぎているところ(笑)インド人は基本的に野良犬は放置です。

日本だったら排除しそうなところを、そのまま放っておいている。

野良犬は攻撃的かといえばそういうわけでもなく、インドの人間社会のなかでどう生きるかちゃんと考えている。

人に迷惑をかけないように賢く生きているように見えました。

人間にも縄張りがあるように、野良犬には野良犬の縄張りがあるようでして、だいたいいつも同じ犬が決まった場所にいます(笑)

それも例えば屋台の下の日陰とかホテルの入り口の脇とか、商売の邪魔にならないような自分の居場所を確保しています。

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ペットとして飼っているわけではなさそうなのですが、暗黙の了解なのか人間社会のなかに居場所を確立している野良犬が多かったです。

インドの排除はしない感じが好きだ。

野良犬が馴染みすぎているインド社会。

好きなのは別に犬にかまいもしないけど、排除もしない感じ。

放って置いているんですよね。

デリーにいたインド人の印象は、基本的にみんな本能のまま生きていて俺俺俺俺!みたいな感じで自分の目的以外のことには目が向いていないイメージ。

日本でいう和を尊重するとか空気を読む、みたいなのは一切ないですね。

良くも悪くも。

例えばゴミとか自分の目の前だけは掃除するのですが微妙にゴミの位置が変わるだけで、町全体としては何も解決しないとか。

そんなインド人ですが、何でもそのままにしておく感じはいいなあと思います。

例えば日本だったら、和を乱す人やグループで異質な人は排除するじゃないですか。

インドはカースト制度でものすごい差別はあるかもしれないですが、そのままにしている。

大陸で色んな人や文化が入り交じっているインド、島国で異質な文化や人が交わることの少ないかもしれない日本。

たぶんインドのストレスと日本のストレスは全く別物で、インドだと常に感情がストレートになるんじゃないかなと思います。鬱病とか過労死とかない。

日本は感情とかを殺して殺して、まわりに伺いを立てて・・・みたいな部分があると思います。

日本社会が嫌になった人はインドに行ってみたらいいと思います。たぶん気楽になります。

インドの人間社会に馴染みすぎていた野良犬からこんなことを考えてました(笑)

よく分からない不思議な国だ。

インド。

空港のセキュリティーが厳しいインドと緩い日本

どーも、冨安です。

コンビニがないインドと異様に多い日本

インドシリーズその2です。なんでインドかどんな滞在していたかとかおいおい書いてきたいと思います。

今回はインドの空港事情についてお伝えします。

今回僕はインドの中でも首都デリーのインディラ・ガンディー空港を利用しました。

国際線の場合はターミナル3を使いますが、ここは2010年に出来た割りと新しい場所でインドにしてはきれいです。

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空港への出入りがかなり厳しい。

日本の空港にいると感じないのですが、空港への出入りはかなり厳重でした。

空港に到着してから一回、ターミナルの外に出るともう中に入れません。

出入り口には強面の警備員が必ずいて、中に入るには飛行機のチケットを見せる必要があります。

また飛行機出発の6時間前にならないと入ることができません。

飛行機出発の6時間前になり、飛行機のチケットをみせて、ようやく空港内に入ることができるという。

ちなみに入国のときはパスポートとVISAがいります。

VISAはオンラインで取得できるツーリスト向けのVISAがあるので、オンラインでいけました。1ヶ月以内の短期滞在ならオンラインVISAが便利です。

インドビザを取得しよう 2016「電子ツーリストビザ eTV」編 – インド号

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なんで空港の出入りが異様に厳しいのか?

日本だと空港の出入りは基本的に自由じゃないですか。

なぜインディラ・ガンディー空港は厳しいのか。空港の出入り口は、謎にインド人がめっちゃたくさんいるんですよね。

この人達は誰かを待っているのか?

それともこれからどこかへ行くのか?

分からないのですが、空港出入り口あたりはめっちゃインド人がたくさんいるという。

ターミナルを出ると詐欺師っぽい人もたくさんいるんですが、詐欺師の人も一定のラインまでは追って来れないんですよね。

空港内は冷房もきいていて快適なので、出入りを制限しないと空港内がごった返しそうだなとは思いました。

インド人めっちゃ空港に住み始めそう。

このインディラ・ガンディー空港のターミナル3は、インドではそれくらい屈指の快適さだと思います。

そしてセキュリティーが厳しいインドの空港から関空に戻るじゃないですか。

めっちゃ快適なのにセキュリティーとかないようなもので、空港への出入りも自由。

安全な証拠ですね。いいことだと思いました。

コンビニがないインドと異様に多い日本

どーも、冨安です。

2週間ほどインドに行っていました。

お金を3000円だけ持っていった滞在でして、色々とあるのですが気づいたことを忘れないうちに書いてこーと思います。

滞在中はお金もない状態なので、働いて寝る場所と水を確保してチップをもらい生きてました。

滞在していたのは首都のデリー。

そのなかでもニューデリーのメインバザールという、バックパッカーとかも集まる混沌としたエリアでした。

1960年代とか高度経済成長期くらいの日本なイメージか。

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インドにはコンビニがない。

感じたことの1つがインドにはコンビニがないなーということ。

インドといっても広いので探せばあるんだと思いますが、僕が滞在しているときはコンビニは見かけませんでした。

かわりに家族経営と思われる個人商店が多かったですね。

メインバザールは商店が細分化されていて、日本みたいな何でも揃ってるコンビニとかショッピングモールはありませんでした。

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インドは夏で40度いかない位の暑さですが、冷房がきいている場所もほとんどない感じ。

便利さ快適さでいえば、フィリピンの首都マニラの方がかなり進んでるのかなと感じました。

コンビニやショッピングモールがない。

ということは逆に個人商店が何でもあるということで、服屋、生地屋、薬屋、旅行代理店、食料販売店。さらにはジュースや食べ物など屋台がひしめき合っていました。

またカースト制度で様々な立場の人がいるだろうし、旅行者もそれなりにいる。

野良犬や野良牛もいる。

車やリキシャーもひしめき合い、クラクションは鳴り止まない。

全てがごちゃ混ぜ。

カースト制度で差別はあるかもしれないけど、何でも受け入れ排除はしない感じ。

この感じはメインバザールにいて好きなところでした。逆に日本には異質なものは排除するところがあるかもしれません。

もし日本のようにコンビニやショッピングモールが乱立するようになったら、こんな混沌はないのかもしれません。

インドかこのエリアは外資の参入を制限しているんですかね?

それともインドに参入するのが難しいのか?

東南アジアだとセブンは見ること多いので、インドもあるものだと思ってました。

日本はコンビニが多く、クオリティーの高さ半端ない。

インドから帰ると、コンビニのクオリティーの高さが半端ないと改めて思います。

あんなに美味しい弁当やおにぎりを、いつでも毎日必ずいけば置いてあること。

毎日毎日安定的に供給し続けていること。

それを支える生産体制や物流の仕組みが整っていること。

インフラが当たり前にあること。

日本ではごくごく当たり前なんですが、本当にすごいと思います。

例えばインドでは夏場は停電が多いとか、約束を守らないとか多いらしく、日本みたいなレベルのコンビニができることはなかなか想像できない。

一方で日本みたいなクオリティー高いコンビニがたくさんあると、悪い側面もありますよね。

コンビニって人を駄目にすると思うんですよねw

24時間いつでも簡単に、美味しい食べ物が手に入ってしまうわけじゃないですか。

余計なものを食べる機会が増えてしまうし、肥満や病気の原因になりません?

コンビニって。

インドから戻って日本のコンビニやスーパーにいくと、食品や飲み物のバリエーションの豊かさや美味しさ、日常的すぎて気づかない利便性の高さを改めて感じた次第でした!

これはきっとそこで働く方々の決められたことを決められた時間までにやる。色んな人の小さな仕事のおかげだと思います。

日本の24時間コンビニが当たり前にある暮らしの便利さ快適さは圧倒的ですが、その快適さ便利さを当たり前と思わずに支えている人やモノに感謝しながらやっていきたいです。

世の中便利になる必要があるのか?

どーも、冨安です。

最近世の中が便利になること=人が幸せになれる

わけではないなと思っておりまして、

なんで今の社会は

今よりももっと便利に

今よりももっと経済成長を

そんなことを追い求めることが普通なんだろうなと考えてます。

iPhoneもインターネットもなきゃないでいい。

例えば僕たちの暮らしを便利にしたiPhoneやインターネット。

iPhoneがあればどこでも仕事できるし、インターネットの発達やSNSの恩恵で誰かと繋がってることも簡単になりました。

確かに暮らしは便利になりました。

ただ一方で、別になきゃないでいいじゃないですか。

世の中がインターネットで繋がれば繋がるほど、もしかしたらリアルの繋がりは希薄になったかもしれません。

SNSで他人のキラキラした部分ばかりが目につくから、他人と比較する機会が増えてしまい自分を見失ってる人も多いかもしれません。

iPhoneがあれば便利だけど、別にない時代はない時代でどうにでもなっていました。

iPhoneが登場して暮らしは便利になったとしても、だからといって幸せになるわけではない。

人工知能、仮想通貨、ドローンなどなど。

様々なテクノロジーが進化することで世の中は便利になっているのかもしれませんが、人の暮らしが豊かになっているようには思えません。

便利になる→仕事を奪われる人が出る。

AppleはiPhoneをヒットさせましたが、常にイノベーションを起こし続けなければ生き残れません。

世の中を効率化しなければならない、経済成長しなければならない、常に勝ち続けなければならない。

終わりないですよね。

便利な世の中になればなるほど、心の豊かさみたいなものは消えていっているように思います。

なんでないものを追い求め続けるのか?

日本とかもう十分便利だし、生活的には豊かじゃないですか。

僕は最近「もっとこうしなきゃいけない」「誰かみたいになりたい」

とか思ってたのがあまりなくなりました。

ないものは求めだしたらキリがないし、誰かになろうとして比較しだしてもキリがないし自分は自分です。

目の前に、もう既にモノも人の繋がりも恵まれすぎているほどにあるじゃんと思って。

ないものを求め続けて、もっと便利に、もっと快適に。

とか本当に必要なことなんですかね?

もう十分あるじゃないですか。

たぶん、生きることはもっとシンプル。

難しいことを頭でごちゃごちゃ考え出すとキリがないのですが、最近生きることはもっとシンプルなんだろうなと考えるようになりました。

最近しばらく自然のなかで体を動かして草刈りし続けていました。

自然の中で体を動かしてると、考え方がシンプルになってくるんだと思います。

生命力ある草木。太陽。川。

自然と人は別じゃなくて同じ。

どんな生命にも人にも役割あるんだろうなーとか考えながら、草刈りしてます。

能力が低いやつはダメだ。

能力が高いやつが認められる。

仕事ができない人間は切り捨てられる。

こういう世の中は嫌いです。何しろ僕もだいぶ不完全な人間なので笑

効率化や経済成長。こういうモノサシで図るとダメな人でも、違うとこでいいところはたくさんあるはずじゃないですか。

僕は棚田で田んぼを1年やっただけなんですが、棚田再生の価値ってこういう所なんだろうなと。

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棚田は生産性も低いし非効率的なわけで、資本主義的にいったら価値はありません。

でもすごい小さな一枚の田んぼにも、一枚一枚の田んぼに個性があり何かの生命が循環しています。

小さくても色んな役割を果たしているじゃないですか。

便利さや効率化を追い求める世の中なので、棚田にある一枚一枚の田んぼが伝えてくれるメッセージは色々とあると思っています。

今年は世間ではじかれモノになりそうな田んぼも再生していきたいなーと思っている次第です。

最近地元のじーちゃんと友達になれるようになってきた。

どーも、冨安です。

ここ1ヶ月くらい草刈りばかりしていたら、色々と気づきや見方の変わることがあります。

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特に僕が住んでいる部落の草刈りをかなりしていました。

一人でひたすら土地と向き合い草刈りしてると、自然とその土地に愛着がわいてくるし何とか守っていきたいなと思うようになります。

変化の1つとして、この地域に住むじーちゃんたちと前より仲良くなれるようになれました。

上山の人たちは田んぼをやっている、やっていた方が多く、土地への思い入れなどは強いです。70、80になるのに、ものすごい執念で毎日何か作業をしているじーちゃんもいます。

なぜそこまでやるのか?

不思議でならなかったのですが、感覚が近くなってきたのかもしれません。

ひたすら草刈りしていると向こうも以前より

「おー今日もやっとるなー。」

みたいに以前より楽しそうに話しかけてくれるし、僕も話していてめっちゃ楽しく感じるようになってきました。

たぶん理由は同じ事をしているから。

ひたすら土地と向き合う、守っていく。

僕は上山に来て1年目のぺーぺーですが、少なからず目線が近づいてきたのかもしれません。

特に草刈りしている辺りがどんな場所で、どんな風に使われてたのか?

どんな歴史を持っているのか?

ずっとそこにいたら気になってくるので、聞きたいことも増えてくるんですよね。

こうして土地を守り続けてきたじーちゃんたちと、一緒の価値を共有できるのは貴重だなあと思います。

資本主義的な経済性とか効率だけでいったら棚田ってなくなるものなんですが、条件不利でもそこで知恵を出して暮らし続ける。

そこから自然に生まれる暮らしや文化には、人の魂や尊さみたいなものがあっていいですよね。

同世代の友達は減る一方ですが、上山のじーちゃんと少しずつ友達になれるようになってきました!

「自分はダメな奴」上っ面な自分に気づき、消えたくなりひたすら放棄地で草刈りしてた。

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どーも、冨安です。

1ヶ月ぶりくらいですかね。

外に向いてた興味が全て自分に向いておりまして、他のことを考えれなくなってました。

人って生きていると、

社会のあーしなければいけない、こうあるべきだ

色んな常識や価値観に縛られる。

気づいたら他の誰でもない他人と比較をして、その価値観のなかで誰でもない誰かになろうとしていたりする。

社会の常識なのか、他人なのか?

自分以外の何かに振り回され続けて生きていく。

自分は自分でいいにもかかわらず。

「なんか逃げ続けてない?」と言われて。

ある友人と話していて、ふとしたきっかけで全ての興味が自分に向きました。

それまでの会話の流れもありますが

「なんか逃げ続けてない?」

と言われて、過去と今が繋がったような感覚があり

あーホントそうだな。

と。

自分でも分かっているのですが、無意識のなかで逃げてるわけじゃないと思い込もうとしてました。

僕は自分で自分が納得するまで何かをやったことがないんです。

無心で放棄地で草刈りをした。

何かやることは1つでいい。

耕作放棄地はたくさんあるので、ひたすら草刈りすることにしました。

なんで草刈りか?特に理由もなく直感です。

なんなんだ自分なんなんだ自分なんなんだ自分

みたいな感じで他のことを一切考えたくなくなった、頭に入らなくなった。スマホの電源を切りPCも開かず数日ひたすら草刈りしてました。

連絡がとれないため死亡説も流れました笑

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「自分はダメ奴」と思い続け、無意識で自分に作ってた壁。

草刈りは体力を使う作業で、やっていると無心になり無意識のなかで色々と思考が巡り出します。

どっから逃げ癖ついたんだろうな?

あのときか?あのときか?あのときか?

不思議なことに、自分の色んな過去のことを思い出しました。自分の人格がどうやって出来ていったのか。過去が今に繋がって、自分を客観的に見ることができた感覚がありました。

逃げ癖ってなにか?

自分で自分が納得するまで何かをやり切ることができないこと

だと思います。

理由は自分で自分を信じれないから。自分で自分を認めることができないから。

常に無意識のうちに、自分を制限してしまう。何となくできそうなことに逃げてしまう。

たぶん僕は幼少の頃から体も小さくアトピーだったのもあり、

常に劣等感を持ちながら生きるようになり、必要以上に周囲を気にするようになったんだと思います。

瞬発的な頭の回転が悪いので、何をやるにも出遅れるような部分もあります。

小学生のときから逃げ癖あり、劣等感を感じることが多かった。

この頃から自分を殺して、周囲に合わせる癖もついている気がします。中学に入り劣等感はさらに大きくなり「自分はダメな奴だ」と、自分で自分を嫌いになることが多かった。成績はビリの方だし部活辞めるしいじめられるし。

気がつけば他人の目を気にして、自分の本当の意志みたいなのはなくなる。やりたいことではなく、何となくできそうなことに逃げ続ける。

とりあえず嫌われないために振る舞う。気がつけば自分を殺して生きるようになった。

こういう見たくない過去は、これまで全て無意識のうちに見ないようにしていました。

自分を変えようとし続けたけど、何をやっても変われるわけはなかったんです。こうして自分で自分をごまかしている限りは。全部表面的で上っ面。

やってることと言ってることが繋がっていなかったとも思います。

草刈りをしながら、こんな感じで自分と向き合ってました。

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僕はこれまで他の人と心底深く繋がった感覚を持ったことがありませんでした。

たぶん「自分はダメな奴だ。」と思って自分で自分に壁を作ってる時点で、誰にも心を開くことはできない。

自分で自分をごまかしているうちは、どんな繋がりも表面的なものにしかなからない。

繋がりのない寂しさを紛らわすためにやってたのが、ブログだったのかもしれません。

なんか、しばらく喜怒哀楽の感情も捨ててたなと思います。

どんなに心を開いてくれてる人にも心を開くことができず、今まで表面的で上っ面だったんだなーと思ってたら悲しくなったりしました。

こういう嫌な自分と向き合っていたので、なかなか人に会う気も起きませんでした。

自然の循環のなかで、ただただいる感覚。

こういうタイミングで耕作放棄地でひたすら草刈りできる環境があって良かったです。

都会で家に籠もってPCでカタカタやってても、なかなか負のループから抜けれなかった気がします。

とりあえずぐったりするまで、ひたすら草刈りする。

疲れて寝る。

草刈りする。

寝る。

SNSもチャット系も遮断して(迷惑かけてすいません・・・)、こんな感じで2週間くらい過ごしたかな・・・。

自然のなかで体を動かしてると、だんだん考え方がシンプルになってきます。

何か自分に向き合うとき手段は色々とあります。

座禅、ヨガ、瞑想、マラソンなどなど・・・。

それが僕にとっては耕作放棄地での草刈りでした。

ひたすら無心で草刈りをしてて、エンジンが止まったで静寂になった瞬間が好きなんですよねー。

川が流れる音、木々が風に揺れる音、風、鳥の鳴き声、かつての棚田跡。

自然の循環のなかでただただ生きてるんだなー。

いいも悪いも全て自分で誰と比較する必要もなく、まあ自分は自分でいっか。

ていうのが腑に落ちました。

上山だから気づけた。

こういう気づきは一人では得れるものでなく、他の人との関係性のなかで気づけるものだと思います。

これには気づける場所、気づけない場所

があるように思います。

僕がやったことはいきなりSNS辞めますとか情緒不安定になり、連絡とれなくなるみたいなただの頭がおかしいやつ。

ただ否定される場所であれば、ただただ否定されて終わる。バカにされて終わる。

結果として何にも気づけず、自分をごまかし生き続ける。

例えば変化したくて変化できずに苦しんでる組織。どんどん人が病んでいく組織。

組織全体で最も向き合わないといけない部分から逃げ、働く人も自分をごまかしながら働き続ける。

こういう場所では辞めない限り、自分だったらひたすら病むだろうなと思います。

これでいいと思えるようになったのは、まず上山で一緒に活動しているメンバーのおかげです。上山だったからこういう気づきを得れたんだと思います。

無意識のうちにこれまですごい殻を作っていた自分。

良きも悪きも自分を認めながら、気がつけばそこにあるようなものを大事にしていきたいなと思います。

読んでいただきありがとうございました。

引き続き山にこもって耕作放棄地を開拓しています。

明日大阪行くので、人生初フリーハグやってみようと思う。

どーも、冨安です。

最近3ヶ月彼女企画を始めてから、ストナンしたりデートダメだししてもらったり、なんともドキドキ感もある日々を送っております。

とみやす3ヶ月で彼女を作る企画スタート!

「こんばんは」が開いた新世界。非モテ、人生初のストナンレポ

ブログで書きたいネタは泉のように湧き出てくるのですが、アウトプットが全く追いついておりません。

何だか肝試し的なことをすることにハマってきた感もあります(笑)

明日大阪行くのでフリーハグやってみます

最近ナンパの話をしていたら「フリーハグやってみたら!?」

と何人かの人に言われました。

フリーハグについてウィキペディアから

フリー・ハグズとは街頭で見知らぬ人々とハグ (抱擁) をして、素晴らしい何か(愛・平和・温もりなど)を生み出す活動である。

2001年、アメリカのジェイソン・ハンターが始めた活動である。彼は母親の死後「フリー・ハグズ」と書かれたプレートを持ってマイアミの海岸を歩いた。それは、多くの人に愛された母親を亡くし、ジェイソンが大切なことに気付いたからである。彼の母親は、たくさんの人々を抱きしめ、どんなに”あなた”が大切であるかを伝える素敵な人であった。

そしてジェイソンは 「私たちの仕事がなんであれ、私たちにできる大切なことは、私たちが自ら歩み寄ることによって他者を助け、励ますことではないか」「親切で励みになる行動が、私たちの日常に変化を与えてくれるだろう」

それを示す行動がフリー・ハグズであり、ジェイソンはこのメッセージを多くの人に伝えようとフリー・ハグズというプレートを持ってマイアミの浜辺を歩き始めた。これがフリー・ハグズの始まりである。多くの人がオーストラリア発祥だと勘違いしているようだ。

全然知らなかったのですが、こんな由来だったんですね。

そういえば友達で何人かやってる人いたなーと思いながら、あまり街でやってる人を見かけたことはない気がします。

全くやろうと思ったことなかったのですが。

やってみたら!?

って言われること多いし、明日やってみたいと思います。大阪に行く予定でして、場所的にも良さそうだし大阪で。夕方くらいからかなー。

段ボールにフリーハグ!!!とか書いてニコニコしながら立ってる感じだと思います。

いやーナンパの声がけも勇気がいりますが、これもすごい勇気いりそうです。全然人来てくれなかったら、絶対顔ひきつってきますよね笑

これもやってみないと、どんなことを感じるのか全く分からないですね。

とりあえずやってくれる人に笑顔になってもらえれば嬉しいですね。

ナンパのときに何も考えずに「こんばんは!」

と声をかけてみたように、細かいことは置いておいて

「こんばんは!」

と挨拶をしながらフリーハグを掲げて立ってみたいと思います。

どんなことを感じるんでしょうね??

変化し続けたい、という気持ちを失ったら終わり。

どーも、冨安です。

彼女3ヶ月で作る企画進行中です。

この企画をスタートしてから、婚活にしろ街コンにしろナンパにしろ多くの女性と会う機会が増えました。

「こんばんは」が開いた新世界。非モテ、人生初のストナンレポ

失敗してばかりですが、ドキドキしながら新しい一歩を踏み出すと新しい世界に出会える。

これはなんとも楽しい。

なぜナンパなんていう、やる必要もない柄にもないことをやってみたのか?

今の自分の現状維持を打破したい、もっと変化したいという気持ちを持っていたからだと思います。

変化しない方が楽だ。

変化をすることは、できないことをするし失敗も付きものでエネルギーがいります。

なんとなく日々に流されて、惰性的な日常を送る方が気楽です。

ただその先には本当に楽しい人生は待っていないのかなと思いますが。

たぶん僕が北海道に行き、岡山にきて、よく分からない生き方、毎年違うことをしているのは変化したいと思っているから。

何か自分のなかにある壁をぶっ壊したいと思っているんだと思います。

変化をしないことは、新しいことをやる必要がないし勇気もエネルギーもいりません。

変化をしないのは楽です。

自分と葛藤しながら変化し続けたい。

まさに先日の人生初のナンパとかそうですが、かなり勇気がいる一歩だっただけに大きな変化のきっかけになった1日になったと感じています。

より大きく変化しようと思えば思うほど、勇気がいるし葛藤します。

でもその先に出会える世界はきっと素晴らしい。

新しいことができるようになり、新しい繋がりが生まれ、新しい自分がいるんだと思います。

だからこそハードルが高いことにチャレンジをしてみることが大事で、

自分ができないと思うようなことを達成できたときほど嬉しいじゃないですか。

例えばナンパを呼吸のようにできるようになったら、それは僕にとっては革命的な変化ですw

きっとやってやれないことはない。

意識をしないと惰性的な日々を送ってしまうもの。

変化をし続けていきたいな。

昨日50を過ぎてるけど、すごい変化をし続けてる人と話していて思いました。

おむすびまん&こむすびまんになり、インドでおにぎりを握るプロジェクト。

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どーも、冨安です。

今日先ほど上山メンバーと飯を食べてて、インドに行ってきたらええという話をしていました。

インドに行くのは僕と白子さんという上山メンバーの二人です。

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どうやってインドに行ったらおもしろいか?笑

という話になりまして、結果としてこちらの企画が面白いんじゃないかという話になりました!!!

おにぎり 001

アンパンマンに出てくる、

おむすびまん&こむすびまん。

このキャラクターになり、インドでおにぎりをひたすら握る。

なぜなら僕らはお米を作っているから。

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なんだかすごく楽しそうなので、もうやる気満々です!

どうやったら、おむすびまん&こむすびまんになりインドでおにぎりを握ることができるか?

せっかくなら上山の棚田米を持っていきたいところですよね。

予算はクラウドファンディングで75万集めることを目標にします。

さて、一体どうやったら

おにぎり 001

この企画を実現することができるのでしょうか!?

もう行きの飛行機だけ取って、帰りの飛行機いらないかもしれないですねwww

いやーまた楽しみが1つ増えました!笑

僕は嫁探しも兼ねてインドにいきます。